細野 秀雄 氏
不思議なナノの籠
〜透明酸化物に機能を与える〜
酸化カルシウムと酸化アルミニウムからなる12CaO・7Al2O3(C12A7)は、アルミナセメントの構成成分として古くから知られる材料だ。結晶は無色透明で、Ca、Al、Oの3種類の原子でできた内径0.44nmのケージ(籠)が立体的に組み上がったナノ構造をもつ。1つのケージは最近接の12個のケージと壁面を共有してつながり、内部にO2-イオンがゆるく包接されている。このO2-イオンを、通常の条件では不安定なアニオンで置き換えることによって、細野氏はありふれた古い材料C12A7を新しい高機能材料として生まれ変わらせた。
C12A7の単位構造は[Ca24Al28O64]4++2O2-と表記され、ケージ12個で構成される。プラス4価に帯電する12個のケージの中に、O2-イオンは2個しか入らないため、大部分のケージは空の状態だ。細野氏はこのC12A7の内部に、非常に強い酸化力をもつO-イオンを高濃度に作り出した。C12A7を純酸素雰囲気中で熱処理すると、酸素分子がO2-イオンと反応して、O-イオンとO2-イオンが生成する。活性の高いO-イオンは通常の状態では不安定だが、ケージの中では安定に存在することができる。高温下で電場を印加することによって、O-イオンは外に取り出すことが可能だ。O-イオンは白金を酸化するほど強力な酸化力をもち、自動車の排気ガスに含まれる有害成分の酸化処理や、半導体プロセスにおけるシリコンの低温酸化など、様々な用途が考えられている。「異常な原子価をもつ活性なアニオンが、ケージの中では安定に存在できるんです。1つ見つけて、こういう方法に気が付きました」。超伝導をはじめとする多くの酸化物材料では、種々のカチオンが新しい機能の発現を担ってきた。それに対して細野氏は、アニオンによる機能発現という独自の道を見出した。
「宝石やガラスみたいに透明な物質は、普通は電気が流れない。固いとか、綺麗というだけで、電子が表に出るような機能をほとんどもたないんです」。透明であることは光を散乱する自由電子の不在を意味するため、透明性と電子伝導性は両立しにくい。しかも、CaやAlのような軽元素の酸化物は絶縁体というのが常識だ。ところが細野氏は、透明な典型的絶縁体C12A7に電子伝導性をもたせることに成功した。C12A7を水素雰囲気中で熱処理すると、水素がケージ内の酸素と置き換わり、通常では存在し得ないマイナスの電荷をもった水素イオン、H-イオンが生成する。ケージ内にH-イオンを包接したC12A7:H-に紫外光を照射すると、H-イオンから電子が放出され、空のケージにトラップされる。電子がケージからケージへと移動することによって、電子伝導性が現れる。電子伝導性の発現は、細野氏自身にとっても予想外だった。「C12A7の価電子帯と伝導帯の大きなギャップの間に、実はもう1つ、ケージが作るバンドがあったんです。でも、ケージに電子が入るまで、それは見えなかった。チャージをもったケージの中にあるナノの空間は、単なる隙間じゃない。電子の通り道にもなるんです」。紫外光を照射した後でもC12A7:H-は透明性を保ち、電子伝導性はそのまま永続する。光照射による電気回路のパターニングが可能だ。透明電子デバイスへの応用が期待されている。
さらに細野氏は、ケージ内のO2-イオンをすべて引き抜くことにも成功した。C12A7の結晶と金属カルシウムを真空中で熱処理すると、結晶表面にCaOが生成し、O2-イオンが電子で置換される。C12A7は「電子の色」濃緑色を示し、高い電気伝導度をもつようになる。これは世界初の安定なエレクトライドだ。エレクトライドとは1980年代に発見された特異なイオン結晶で、アニオンが占めるべき位置を電子が占める。その代表例、セシウムのクラウンエーテル化合物では、エーテル分子がCs+イオンを包接して電子との再結合を防ぎ、結晶構造が保たれる。しかし、有機分子とアルカリ金属からなるため非常に活性で、低温・真空中でしか安定に存在できない。一方、C12A7のエレクトライドは、丈夫なケージが帯電してカチオンの役目を果たし、その中に電子が包接されるため、きわめて安定だ。空気中で300℃、真空中であれば1000℃まで安定に存在することができる。「エレクトライドはエキゾチックな物質で、色々な可能性があるのに、これまで安定なものがなかったためにほとんど調べられていないんです。これから色々なことができると思います」。既に、ケージ内に高濃度の電子がゆるく束縛されていることを利用して、エレクトライドを用いた冷電子放出源の開発が進んでいる。
細野氏は、C12A7のような「ありふれた材料」を「新しい目」で見直すことの意義を語る。「ありふれた古い材料っていうのは、人間がこれまでずっと使ってきた材料です。資源的には無尽蔵だし、環境調和性も抜群。そういうものに、今までにない機能を出せれば、本当に役に立つ材料ができるはずです。ありふれた元素でできた、ありふれた材料をもう一回見直して、現代流の工夫を凝らして新しい機能材料に仕立てる。材料屋としての腕の見せどころです」。その一方で細野氏は、これまで研究対象には一貫して「透明な材料」を選んできた。透明p型酸化物半導体の発見、透明酸化物半導体による紫外発光ダイオード・高性能トランジスタの実現、透明酸化物C12A7の電子導電体への変換・・・。新しい機能を獲得した透明材料が社会に与える影響は計り知れない。だが細野氏自身は透明材料を研究する理由を「単に透明なものが好きだから」と言う。「世の中がどういう風に動こうと、自分の生活がどうなろうと、好きなことをやるのが結局一番うまくいくんです。どんなことを言われたって、嫌いなことなんかやらない方がいい。人生は一回しかないんですから」。